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望無亭日記

一本うどん

  • 2012年5月14日 23:58
  • 備忘録

池波正太郎の小説を読んでいると、「食ってみたいなあ~」とつぶやいてしまう場面がよくある。先日、もやもやさまーずを見ていると、なんとその一つをサマーズが食っているではないか。深川の日吉屋で売られている「一本うどん」。まさに鬼平に出てくるそのままな雰囲気。これは食いに行かねば。
備忘に住所を以下に記録。

日吉屋
〒135-0021 東京都江東区白河2-3-14
03-3642-0085

孤独死と呼ばずに自立死と呼ぶべきではないか

  • 2012年4月29日 15:35
  • 雑感

このところ自宅で一人で無くなった方や、生活保護を受けずに餓死したとおもわれる親子などのニュースが続いた。ニュースの扱いはいずれも「孤独死」「孤立死」といった扱いで、福祉の網から漏れた悲劇として扱われている。ニュースでは行政の孤立死防止の取り組みは好意的にとらえられ、最後は「人も金も足らないのでもっと予算を!」的な締めくくりとなっている。しかしどうも、ニュースで取り上げられていた方は、いずれも「孤独死」や「孤立死」などといって哀れむ方が、尊厳を傷つけているのではないかと思えてならない。要は余計な「おせっかい」だ。
私は職業から元気なご高齢の方と話をする機会が多いのだが、よく聞くフレーズは「他人の世話にはなりたくない」「ご近所に迷惑をかけたくない」「元気なままぽっくりと死にたい」というものだ。実際、元気な方は家族の世話にならず、年金で一人暮らしという方もおおい。夫婦のどちらかは既に先立ち、子供たちは東京で自立していたりすると、どうしてもこうなる。病気なら無理に引き取るというのもありだが、元気なら放っておくしかないだろう。これを文字通り実践し、元気なうちは、家族の世話にならず、なるべくご近所に迷惑がかかるようにもならず、ぽっくり死ねれば最高ということになる。さて、これとニュースで取り上げられたケースと一体何が違うのだろうか。自立して一人で暮らしていれば、死ねば数日、数週間見つからないこともあるだろう。だからといって「孤独死」と哀れんでいては、最後まで自立して天寿を全うした個人の尊厳を著しく損なうのではないか。彼らは孤独のうちに亡くなったのではなく、最後まで自立を全うしたと思って亡くなったのではないか。そりゃ誰だって家の中で腐ったりしたくはない。しかし仕方ないではないか。
そういう生き方が問題なのだという指摘もあろう。それはそうかも知れない。自治体の職員がなんども訪問し、最初は放っておいてくれという男性が、徐々に心を開いて最後には自分から連絡を取るようになるというニュースはなかなか感動的であった。確かに男性のQOLは向上しただろう。しかしこれは行政がすることなのか? こういうことは宗教や地域団体、NPOの範疇だと思う。
行政をスリムにと言いつつ、余計なおせっかいが増えている。余計なおせっかいが良いこともある。しかしそれは税金で行われるべきではないと思う。

通天閣と東京駅

  • 2012年4月 2日 09:48
  • コラム

東京駅の丸の内側が大改修され10月にオープンする。
以前、東京駅はアムステルダム中央駅をモデルにしたと言われた時期があって、実際アムステルダムに行った時に、「全然ちがうやないけ」と思ったのだが、その時は地震や戦争やらで改築されたからねと納得していた。今回の改修で、建物の高さも高くなり以前よりはアムステルダム駅に近くなったかもしれない(アムステルダム駅をモデルにしたというのは俗説らしいが)。
さて、似たような話が通天閣にもある。いわずと知れた大阪下町のシンボルだが、ガイドブックなどには「エッフェル塔をモデルにした」とまことしやかに書かれている。通天閣とエッフェル塔? どうやったらエッフェル塔が通天閣になるねん。これは東京駅よりはちゃんとした話で、エッフェル塔をモデルにしたのは初代通天閣。初代は太平洋戦争末期、鉄の供出の為に解体され今あるのは二代目。ちなみに構造設計は早稲田の内藤多仲先生。先代はエッフェル塔をモデルにしたというのは内藤先生も当然ご存じだったと思うのだが、なぜああいうデザインにしたのか? 生きておられれば聞いてみたかった。弟子筋にあたる田中彌壽雄先生の最終講義の時にそのことを聞いてみたのだが、残念ながら先生もご存じなかった。
僕の実家は通天閣のすぐそばにあったので、比喩ではなく通天閣の時計を我が家の時計として育ったのだが、「エッフェルやないやろう・・・。むしろ角隠しした文金高島田に近い」とずっと思っていた。残念ながらこの説は未だ確認できていない。

Let's Note CF-SX1(続報)

  • 2012年3月26日 12:51
  • 雑感

この前のBlogで
持ち運びようの小さなACアダプターが付いてすばらしいと書いたが、実に中途半端なものだった。
重さ約100gと非常にコンパクトなのだが、使っている最中は充電されないというシロモノだった。モニターを閉じたり、スリープしていないと充電されない。
アダプターをつけているのに、どんどんバッテリーが減っていくので、新手の節電設定でもあるのかと、いろいろ調べたのだがよくわからず、ググってみたら一発ヒットでした。なんでこんな中途半端なもんを作るのか・・・・パナ。しかもサード・パーティのアダプターを使うと、起動時に純正品を使えと余計なメッセージが出ます。起動にワンタイプ余計なアクションが増えます(泣)。

Let's Note CF-SX1(

  • 2012年3月26日 12:51

Let's Note CF-SX1

  • 2012年3月23日 10:49
  • 雑感

IMG_0245_R.JPG

新しいノートが届いた。
SSDにして起動が速くなることを期待していたのですが、想像以上のできです。
まず軽い。ずっとSシリーズを使っているのですが、印象としては2/3くらいになった感じ。電源ケーブルも携帯用の小型のケーブルが追加で付いて、最初から二本セット。メインでも使い、持ち歩きもするコアユーザーの気持ちをわかってらっしゃる。
また、形的にはあまり好きではなかった本体の台形が、かなり長方形に近づいてスマートになった。全体としてもかなり薄くなった感じ。
モニターは12.1型ワイドということ二なっているのですが、前シリーズより横長に。書類をメインに扱う我々には縦に長い方がいいのだが、全体としてのデザインを優先したのか? まあ許容範囲。普段は写真のように別のモニターを使っているので。
しかし、電源スイッチは相変わらずグリーンのまま。どうせなら白のライトにしてほしい。もしくは選べたらいいのに。
いずれにしても、非常に満足度が高いです。

さて、ノートパソコンが載っているのは往年の「スパルタカマス」
まだ、売ってるんです。

ドリトル先生 Do little

  • 2012年2月14日 22:40
  • コラム

僕の人生に最も影響を与えたと言っても過言ではない本。それがドリトル先生の物語だ。誰だったか忘れてしまったが、最初の一冊をプレゼントされ夢中になり、自分のお金で全巻を揃えて読破した。今でもドリトル先生のように旅をしたいと願ったり、動物の言葉がしゃべれないかと夢想してしまう。理想の部屋は、何でもすぐ届くドリトル先生んちの台所だ。
ところが、このドリトル先生の物語なのだが、僕の周りでは知っている人が少ない。エディー・マーフィーの映画だと思っているやつもいる。そんな状態は僕の周りだけの特殊解だと分からしてくれた本が出た。

南條竹則著「ドリトル先生の世界」である。

あこがれのドリトル先生が世界中の人気者であることがわかり(これは僕だけの個人的事情)、また先生が活躍した時代的背景や著者のロフティングについて、詳しい解説がつけられている。しかし、思えばすでに読みふけったのは30年以上前、だんだん本当に読破したのか不安になってくる。
よし、もう一度読もうと古本屋に注文。今日段ボールが届いた。とりあえず本棚に並べて見る。


dolittle.jpg

あれ、どうも記憶よりも大きい。小学生の時に買ったのはもう少し小ぶりで、ソフトカバーだったような。
ま、よしとしよう。

GKB47 ポスター

  • 2012年2月 8日 12:26

GKB47は阿呆らしすぎて、何もいうことは無いのだが、無駄になったポスター、25万枚300万円は誰が弁償してくれるのか。ん? 25万枚300万円って一枚12円? フルカラーのポスターが? 安すぎないか? どこの業者か教えて欲しい。今度からそこに印刷は頼もう。



ムーミン

  • 2012年2月 7日 19:34






久しぶりにムーミンでカレー。7時なのに空いている。この頃は学生もあまりこなくなり、こんなもんらしい。このままだと閉めちゃうんじゃないかとちょっと心配に。みんなムーミンに食べに行ってください。

謹賀新年

  • 2012年1月 1日 15:13
  • 雑感

2012年賀状_compressed.jpg

謹んで新年のお慶びを申し上げます。

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